キャメラマン一代

キャメラマンの宮川一夫さんを知っている人は、殆どいないかもしれないが、黒澤明監督の名前を出せば分かると思います。



黒澤監督関連書籍になる。
監督の自伝「蝦蟇の油」から始まり、幼なじみの脚本家 植草圭之助さんの『わが青春の黒沢明』、脚本家 橋本忍さんの『複眼の映像』、衣装デザイナー黒澤和子さんの黒澤明「生きる」言葉、スクリプター 野上照代さんの「天気待ち」など幾つか読んできたが、今度はカメラマン視点で。

先日、『羅生門』をアマゾンビデオでみたが、DVDに比べるとすごく綺麗になっていて驚いた。カットの美しいこと素晴らしいこと。何度みても感動する。
宮川さんに関してはずっと気になっていた存在だったが、このところ撮影の仕事が増え、一流のカメラマンはどう仕事に向き合っているのか、良いカメラマンには何が必要なのかなどを押さえておきたかった。

宮川さんの関わった歴代監督を並べると、日本を代表する錚々たる顔ぶれ。

稲垣浩監督
黒澤明監督
溝口健二監督
小津安二郎監督
市川崑監督
篠田正浩監督

監督とカメラマンは「夫婦」によく例えられるそうだ。
濃すぎる旦那ばかりである。

当時のカメラは当然フィルム。ズームレンズも大分先。
宮川さんは会社の方針で「現像部(ラボ)」に3年いたそうです。
ラボではネガの調子やプリントのタイミングなどのノウハウを勉強でき、
カメラマンの多くが失敗した露出の問題も、カメラマンになった宮川さんは失敗は殆ど無かったと書いてあります。
当時は露出計もないのでカンが頼りで、露出計を買えたのは終戦後の羅生門の時。
私の場合、大きな失敗をしなかったのは、すべてカンに頼るのではなく、撮影条件の一番悪いところをテストで撮って、そのテスト・ピースを翌朝、一番電車でラボへ持っていって、自分で所定の液で現像し、そのテストを見て、本番の現像条件を判断したからです。・・・

撮影部に移って助手として8年。
機材や器具の整備はもちろん、4、5年するとピントマンになる。
カメラの横でカメラのピントを合わせる。
そのカットのテーマになるものにピントを合わせ、動きを付けてピントを合わせていく。ピントを送るのにもリズムがあり、これで私は芝居を知った。

宮川さんはピントマンを8年やったそうです。

昔は若い人を育てる気風があった。
今では直ぐ実践で使われ、良い感覚を持った人でも消耗品的に扱われる。
これでは良い技術者は育たず、最近では撮影所も「創造の場」でなくなり、「ビジネスの場」とかしつつあります。


映画に限らずクリエイティブの現場は然り。
これは1985年に出版された本ですが、当時からずっと言われ続けていることが悲しい。

1950年「羅生門」 黒澤明監督
1953年「雨月物語」溝口健二監督

この2つの映像の違いをみれば、宮川カメラマンの凄さが一目瞭然。
本にも詳しく書いてあります。

「羅生門」はコントラストがとても強い。
「雨月物語」は靄がたった浮遊感のあるグレーの画調。

「雨月物語」では7割近くクレーンに乗って撮影。
クレーンで不安定感を出すため。
面白いです。

アンドレイ・タルコフスキーが映画を撮る前に必ず「七人の侍」と「雨月物語」を見るというのをどこかで読んだことがあります。1つのことを掘り下げていくと、多くのことが繋がっていくのが面白い。因みに音楽は羅生門も担当した早坂文雄さん。

まとまりのない本の紹介になってしまったが、宮川さんは果てしなく研究熱心で、常に新しことをに挑戦し続けた人。カメラマンはカメラのことだけではなく、ロケーションやセットのこと、照明、現像、芝居のこと。そして監督のこと。そしてこう言っています。

映画は監督のもので絶対の決定権は監督。その上で、この監督なら、こういう風に撮るだろうという見極めがつけられないようなカメラマンではダメ。

最後に宮川さんの一言。

フィルムに「絵」を、「画調」に詩を、キャメラワークに「リズム(音楽)」を