特に最近、自然がたまらなく恋しくて、散歩に出るとなるべく木があるところに行きたくなる。

今、自分の周りの自然と言えば、1番近くにあるのは染井霊園の木々たち。
1番豊かな自然が霊園なんて、なんとも寂しいがそれでも木が恋しくて行きたくなる。

少し歩くと東大や根津神社があり、文京区は23区内ではいちばん自然が豊富というだけあって、
多少なりとも木にふれ合うことができて気持ちがいい。

大学進学のため上京してくるまで、地元静岡の三島は山、木、田んぼに囲まれた、まだまだ自然豊かな場所だった。
車で小一時間で天城に行け、伊豆の海にも近く、山と海はかなり近い。
今でも地元に帰ると親爺と天城の山に釣りに行ったり、キャンプをしたり、縦走したりする。
今度、天城について何か書いてみたい。

そんな中で育ったもんだからか、都内は木が少なくて寂しいが、
それでも今ある木々たちは、愛おしくて、力強く、美しい。

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IMG_2786 写真は染井霊園の木と、その近くにある保護原生林(敷地内には入れない…)の木々たち。

ラーメン二郎 目黒店

ラーメン二郎といえば、TVや雑誌書籍で二郎に関する特集など結構あるので、しっている人も多いと思うが、今年初の二郎に行ってきた。

目黒の二郎、通称メグジは、昔、会社が大鳥神社近く、目黒通り、目黒川、近くにあったこともあり、しょっちゅう行ってた。

大体、昼行くには12:00オープンで、11:40くらいには列ができだし、午前の仕事を早く終わらせ、5分前くらいに会社を出て二郎ダッシュ。この二郎ダッシュがないと、ものの数分数秒で一気に他の客が並びだすので油断ができない。周りがみんな二郎に向かっているような気になってマジで焦る。ここで遠慮して余裕ぶった感じで歩いてギリギリに行くと、1巡目に入れず、さらに待つことになりかなりのタイムロス。余裕ぶって歩くと、二郎到着寸前に、微妙に小走りするやつがいる。マラソンでいつスパート仕掛けるかそれに似た心理戦で、どのタイミングで走り出すか、どのタイミングで走り出すか、この決断が中々難しい。店の10Mくらい手前で、このバトルがいつも繰り広げられる。なので、元々二郎ダッシュで走ってくれば、「あっ、こいつ走りやがった!」と思わず、心理戦に加わらず堂々と列に並べるので、このダッシュは結構いい。二郎ダッシュに二郎アップ。

1人の時は店が開くまでアイホン見てるか読書。オープンして食券購入。メグジは兎に角安い。ラーメン小で500円、小豚が600円。普通は小で十分おなかいっぱい。女性は食券かって渡す時に、少なめでというと、店主が少なくしてくれる。メグジは独特の緊張感。あの感じがいいです。麺を茹でるとき、棒1っぽんで茹でます。知り合いのOさんが「タクトを振るうよう」とか「妖精が魔法かけてるよう」といってるが、ホントそんな感じ。1っぽんなのが格好いい。今日は2本で箸でした。残念。。。

どのラーメンを食べるときでもそう思うんだけど、ラーメンはできあがる過程が見えるが凄くいいですよね。うまさ倍増する感じというか、そっから楽しめる。
大抵、最近のこじゃれたラーメン屋は非常に作りが丁寧で、美しいくて、もちろん有名店なんかは旨いし、凄く良いんですが、このメグジは大雑把で豪快。それがスゲーいい〜〜〜。あの適当さがいいんです。神保町二郎とかは凄く綺麗なんですよ。丁寧で。でもオレはメグジが好きです。因みに本店は三田。スープ、麺が入り、ラーメンができる手前で、店主が「ごにょごにょごにょ」と言う。聞き取れないこと多し。このタイミングでトッピングを宣言する。この宣言はできた順に聞いていくんだけど、宣言の仕方で、他人の性格や状況を少し垣間見ることができる。ハキハキ宣言する人、ブスッと宣言する人、丁寧ないい方をする人、目が泳いでいる人、などなど。店内にいる人、他人の宣言を意外と聞いていて、人の宣言が気になる。「野菜ニンニク」「野菜ダブルニンニク」「野菜ニンニクマシ」「全部のせ」「ニンニクなし」など。宣言時には人をチラ見してしまう。
自分は定番「野菜、ニンニク」という。するとボッ、ボッっという感じでのっけてくれて、店主が優しく「どうぞ〜」という。この感動をいつも写真にとってから食べだす。
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メグジは全部うまいっ。ニンニクの荒いのも良いんです。
食い終わるとかなりの満足感。二郎食べた日はもうメシいらないわ〜と思えるくらい。
1日1食二郎だけの二郎ダイエット。オレはやったことないですが痩せないらしいです。
二郎になれてくると、二郎をいかに旨く味わうか、体調管理のことまで気にするようになる。
女子で二郎行く人はいいです!そういう女性はいいです。
どんどん女性も二郎に行ってもらいたいです。行きにくいなら男子に連れてってもらうといいです。
人生変わります。どうせ行くなら最初にメグジに。メグジは是非いってください。

今度はカトリさんとドングリのみんなと初の千住の二郎かな。楽しみ〜

IMG_2907 本当の二郎はこれだってことですね。

Keith Jarrett Part VII [Live]

キース・ジャレットのカーネギーホールコンサートのパート7。このライブアルバムのなかで、即興演奏とは思えない、天才的なメロディとリズムで、一瞬のうちに曲の中に引き込まれる。

The Carnegie Hall Concert
Part VII [Live]

今日この頃

昨年夏から続いたアニメ制作案件の納品も無事終わり、新しい年を迎えて、新たなPVアニメ制作中の今日このごろですが、仕事の方はスケジュール通りなんですが、自主制作の方が中々進まずまだ企画の段階。

制作の中で1番大変というか、産みの苦しみを味わうのが、企画、プロット、シナリオ制作などの構想期間のように思う。仕事にもあてはまることなんですが。

アニメーションは非常に多くの表現方法があり、作り手の意志によって何でもできちゃう、不思議なもの。
映画は文学、絵画、音楽、演劇などの総合芸術で、一方アニメーションは映画にもなれるし、単に特化して文学的詩的な表現や、絵画的、音楽的、漫画、グラフィック、イラストレーションなど、表現をかなり限定して制作することもできる。アニメーションは何でもできる。主役になることもできるし、脇役になることもできる。

あとアニメーションは1人でじみ〜にコツコツと制作もできる。PCやアプリ、周辺機器が安価になり、性能アップ、特に最近2Dなんかは動画を描いたあとは、Photoshop,AfterEffectsやFinalcut,Premiereでサクサク編集ができ、コマ撮りなんかはDRAGONFRAMEで安価で性能のよい一眼レフカメラの普及などで、個人でも比較的容易に制作できる環境が整ってきているし、今後益々個人制作者は増えていくと思う。いいことだと思う。

初めて制作をはじめるには、ハードルの数が滅茶苦茶たくさんある。
でも、ハードルの高さは自分で決めてよいと思うので、慣れてきたら少しずつ高くしていけばいいと思う。
偉そうなことを書いてますが、自分はハードルを高くしすぎて、速く走り過ぎて、よく躓き、こけます。
怪我をしてリハビリで辛い日々なんかも多々有り、本気でやろうとすると、精神的、肉体的、金銭的にも大変。
でも、作るのが好きだからしょうがないんです…

個人制作者が増えていくのが良いことと書いたが、
個人だけでは良くない点もある。
個人だけでは受け継がれる歴史、伝統、技術、職人の継承がない。途絶える。進歩が遅い。小さく纏まってしまう。視野が狭くなる。などなど。

個人ではカバー出来ないものを「組織」でカバーする。
志高く、お互いに刺激し合える個人作家同士のトキワ荘的な集まり。
でも、いざそういった「組織」と思うと、いろいろ考えてしまう。

以下、引用 夏目漱石 草枕>>
 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角かどが立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、くつろげて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世をのどかにし、人の心を豊かにするが故に尊たっとい。
 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である…
引用 ここまで>>

『芸術の士』同士が「組織」として集まってこんなこと考えてたら、元も子もね〜か…